大楠公ご着用と伝えられます。300年来、竜野藩主脇坂家の家宝として蔵せられてきましたが、明治24年(1891年)湊川神社に奉納されました。
明治34年(1903年)、国宝。昭和25年(1950年)、重要文化財に指定。
昭和38年(1963年)竣工。神社創建以来、崇敬者より奉納された社蔵の宝物品を参拝者の方々にご覧いただくために開館されました。国指定重要文化財などの書画や鎧をはじめ、貴重な資料の数々を展示しております。
大楠公ご着用と伝えられます。300年来、竜野藩主脇坂家の家宝として蔵せられてきましたが、明治24年(1891年)湊川神社に奉納されました。
明治34年(1903年)、国宝。昭和25年(1950年)、重要文化財に指定。
大楠公はかって、逆徒平定・天下安泰を祈願され、建武中興の宿願が達成されますと、そのご恩に報いるために法華経を写経してる旨、巻末に願意を記されたものです。
現在残る御真筆中、楷書では唯一のものです。
昭和10年(1935年)、大楠公600年大祭にあたり奉納された横山大観画伯畢生の力作で、今まさに朝敵迎撃の壮途にのぼらんとする決意のほどが偲ばれるお姿です。
大鎧に弓矢という出立の大楠公と愛馬とに見られる形象の明快さ、色彩の新鮮さが、凛とした緊張感を与えます。鮮明なイメージによる青邨独自の人物像といえます。
鎌倉末期の歴史を伝える『太平記』のなかに、楠木正成公登場の章があります。北条氏専制期、幕府打倒を願った後醍醐天皇は、ある夜夢を見られました。一本の大樹があり、よく繁った南側の枝の下に立派な席がある。天皇が「これは誰の席か」と問われると、二人の童子があらわれて「今、天下に天皇をお隠しする場所はありません。あの木の陰こそ天皇のために設けられたものです」と告げ、天空高く飛び去ったのです。
樹(木)に南と書けば「楠」。天皇が近臣に「このあたりに楠という武将はいないか」と問われると、「河内の国、金剛山の麓に楠木正成という武士がおります」という返答がありました。天皇は早速、正成公を召し出されたのでした。
等、刀剣・武具類約100点、工芸品・書軸・絵画類約300点を収蔵。
年数回の展示替を行います。