楠公武者行列

楠公武者行列

かつて、みなと神戸の華と謳われ、神戸に夏を告げる風物詩「楠公武者行列」
伝統文化を継承し、新開地、ハーバーランドなど神戸一帯に勇壮典雅な歴絵巻が繰り広げられます。


神社の御鎮座と
楠公祭、
御神幸のはじまり

湊川神社の大祭はご祭神楠木正成公が湊川の戦いで殉節された延元元年〈1336〉5月25日を縁日として、この日を新暦に換算した7月12日が例祭日(官祭)と定められ、対して5月25日は、氏子等が賑々しく執り行う私祭としての楠公祭が行われてきました。神社創建2年後の明治7年には神輿渡御が行われ、大楠公を大将とする騎馬武者が神輿に供奉したことが御神幸「楠公武者行列」のはじまりです。


戦前の楠公武者行列

楠公武者行列は、建武中興に大いなる功績を残された大楠公が、隠岐から御還幸の後醍醐天皇を、この神戸の地でお迎えし、京都へ先導された最も晴れやかなお姿を称えて行われてきた行列です。

昭和10年は神戸市中を挙げて大楠公殉節600年が祝われ、各所で盛大且つ殷賑(いんしん)を極めた奉祝の行事が行われました。
そして、楠公武者行列では、南北朝当時の有職故実に即するよう、専門家による厳密な時代考証が行われ、衣裳や武具などが出来るだけ往時そのままに新調整備されました。

新しい装備の楠公武者行列を評して「延元(えんげん)の昔を髣髴(ほうふつ)せしめる南朝の時代風俗を如実に描き出した絢爛豪華な古典絵巻は、蜿蜒(えんえん)三十余町に亘る総勢三千余名の大行列」となり、「沿道の人出五十万人と称せられ」る中を行進、「おそらく空前絶後の武者絵巻を展開」と、その日の新聞(神戸新聞など)が報じるほどとなりました。


戦後の
楠公武者行列の現在

戦前のような賑やかな楠公行列の姿を取り戻すことはなかった戦後、昭和40年までは簡略化されつつも毎年行われてましたが、その後地下鉄工事や道路等公共事業のため一時中断した後、平成14年、19年、25年、30年と神社の節目、数年毎に巡幸されています。

楠公武者行列の巡幸は、神戸の地に一大みなと祭の賑わいを取り戻し、神戸の活性化につなげると共に、神戸の偉人・歴史について知識を深める機会ともなり得ましょう。
行列の巡行が、みなと神戸の伝統文化の蘇りと神戸の地域文化の発展に大きく寄与することと信じて已みません。


楠公武者行列の概要

甲冑姿の騎馬武者らが供奉する勇壮な「前陣武者列」、金色に輝く大神輿の「神幸列本社」、御夫人・甘南備大神様の優美な葱華輦と可愛らしい稚児らが供奉する「神幸列甘南備神社」と3つの区分に分かれています。
26騎の騎馬武者、騎馬女房など全69役、総勢700名、全長約1kmの一大歴史行列です。
大鎧をはじめとする、南北朝時代の時代考証が厳密になされた装束の数々は武者行列ならではの特徴と見どころです。